“心”を扱う一分野で、人の「やること」の全てを『学習されたもの』として説明する方法です。
NLPは“神経言語プログラミング”の訳ですから、『学習されたもの』のことをプログラムと言い換えてもいいでしょう。人間はプログラムされている、ということですね。
行動でも感情でも考えでも、「人が自然に無意識のうちにできることは、プログラムが働いているから」だとNLPでは考えます(=学習したことを無意識的に使っている)。
人生が上手くいくかどうかは、上手くいくプログラムを持っているかによって決まるという考え方です。
だったら、人生が上手くいくように、プログラムを変えてしまえばいいじゃないか?…それがNLPの基本的なスタンスなんです。
はい、変えられます。
プログラムは「学習されたこと」ですから、学習し直せばいいんです。
NLPは効率的な「学習のやり直し」のテクニックを数多く開発してきました。
その実用性の高さがNLPの大きな特徴で、きっとだからこそ世界中に広まったのでしょう。
私たち自身を含めて、
「NLPで人生が変わった」
という人たちをたくさん知っています。
NLPはやった分だけ成果が出ます。
こちらのページで、NLPや心の仕組みについて理解するだけでも、理解の深まりに応じて見える世界が変わります。
セミナーを受ければ、セミナー中の体験によっても“好きな自分”に近づけます。
あなた自身で日々の実践を重ねたら、好きなだけ自分を自由にできます。
私たちは何も「NLPがベストだ」とは言いません。
ですが、NLPを知らないままで苦しみ続けている人が多いのは残念です。
興味がわいたら、もっと調べてみてください。
プログラムは『学習』と言い換えられます。
ただし一般的にイメージされる“勉強”のような意味での学習ではなく、「何かのパターンが身につく、記憶に定着する」といった意味の『学習』です。
『パターン』とは「一度身につけたやり方を何度でもスムーズにできる」という意味です。
しかも自分が意識して頑張らなくても、無意識的・自動的にできる状態です。
人間のしていることの大部分は実際のところ、パターンになっていますよね。
こうして文章を読むのも、理解するのも、スマホやパソコンを操作するのも、すべて自然にやっているはずです。
でも最初は苦労がありました。
小さい頃には日本語を身につけるまで時間がかかり、漢字を覚えるのも大変で、文章読解だって努力の成果でしょう。
スマホやパソコンの操作なんて、大人になってから慣れていったかもしれません。
どんなことも経験を重ねて身につけます。
考えや感情だって同じです。
考えの多くは、誰かから言われたことだったり、常識やルールだったり、勉強して覚えたことだったり…、他人から取り入れているものです。
そこに個人の経験則や、自分で考えて辿り着いた意見なども追加されます。
経験の形はさまざまですが、考えが頭の中に定着するのは経験によるわけです。
感情として身体の中に起きる生理現象は動物的なものです。
でも、
「どんなときに、どの感情を出すか?」
という『感情反応』はパターンとして学習されたものです。
例えば電車の中で子供が泣いていたとします。
人によっては「うるさいな!」とイライラするかもしれません。
人によっては「元気でカワイイなぁ」と嬉しく感じるかもしれません。
同じように、怒りという感情そのものは誰にでもありますが、「いつ、何に対して、どのぐらい怒りが出るか?」には個人差があります。
ということで、生まれてからの経験によって身につけてきたものは、感情反応でも考えでも行動でも、すべて『学習』だとNLPでは考えるんです。
《身につけたものは全部プログラム(考え、行動、感情など)》
…ちなみに、私たちは『学習』よりも『プログラム』という呼び方を好んでいます。
NLPという名前の中に“プログラム”が含まれるから…というのもありますが、それ以上に“プログラム”という言葉のほうが実用的に理解しやすいと思うからです。
「学習したパターン」というと、なんだか自分で頑張って意図的に身につけたみたいな印象がありませんか?
でも実際には、私たちが身につけたパターンの多くは偶然“身につけてしまった”ものなんです。
先ほどの感情反応などは典型的です。
親から言われて染みついた考えなんかも“身につけてしまった”ものでしょう。
その点「プログラムされた」と表現すると、自分の意思とは無関係に偶然“身につけてしまった”感じがありそうですよね。
私たちは偶然、過去に遭遇した出来事によって「プログラムされてきた」のです。
多くの場合は、身の回りの大人たちがプログラムしたわけですが。
人生の出来事には選べないものが沢山あります。
どこに生まれるか、どんな家庭で育つか、誰と出会うか、他人から何をされるか…、そうした偶然の過去によって私たちは「プログラムされている」のです。
ですから私たちは通常、過去によって人生を決められているわけです。
過去にプログラムされて、プログラムされたとおりに生きている。
でもNLPをやればプログラムを変えられます。
「プログラムされる」側から、「プログラムする」側になれるんです。
過去から自由になれるんです。
「学習」よりも「プログラム」という呼び方のほうが、そんなニュアンスを込められるんじゃないかと思っているんです。
人間のやることは全てプログラムされたもの。
シンプルにそう考えて構いません。
もちろん人間にはプログラム以外の部分もあります。
生まれつきの性質とかですね。
ただ単にNLPでは、それらを扱わないんです。
NLPが注目するのは、経験によって身につけたプログラムだけ。
それ以外はNLPの範囲外。
…そういう話です。
プログラムの一番の特徴は「何度でも同じことをスムーズにやれる」ことです。
プログラムはその意味で失敗しないといえます。
じゃあ、なんで人生で上手くいかないことがあるのでしょう?
これについてはシンプルに、2つのケースに分けると理解しやすいはずです。
①必要なプログラムがない(技術不足)
②役に立たないプログラムが働いている(心の癖)
①必要なプログラムがないケースは、「やり方が分からない」「上手くできない」ときです。
仕事とか、スポーツとか、趣味とか、勉強とか、家事とか…、『本人の作業内容』が良くない場合ですね。
上手くいく方法をやっていないから、望むような結果にならない、と。
このケースでは、別の効果的なやり方を新しく身につけるのが対処法となります。
②役に立たないプログラムが働いているケースは「つい、やってしまう」「なぜか、やれない」「また、やっちゃった…」みたいなときです。
やろうと思えばできそうなのに、頭では分かっているのに…、自分の中で無意識的な反応が起きてコントロールが効かない感じ。
ありませんか?
挙げればキリがありません。
気持ちや感情の問題であることが多そうです。
上手く対応するプログラムは持っていても、感情とか気持ちとか、別のプログラムが邪魔をしてくるケースです。
“心の癖”のせいで上手くいかない感じですね。
なので、その癖を修正する必要があります。
ということで上手くいかないことがあるなら、いずれにしてもプログラムのせいだと言えるわけです。
よくある傾向として人は上手くいかないとき、「必要なプログラムがない/技術不足」のが問題だと考えがちです。
そして効果的な方法を探そうとするんです。
スポーツとか家事とか、個人でやる作業の場合には新しくコツを知って上手くいくようになることも少なくありません。
ですが色々と試しても上手くいかないこともあるものです。
ビジネス書を読みまくっても営業成績が変わらない、勉強してるつもりなのに成績が上がらない、英会話スクールを転々としても話せるようにならない…など。
こういうときには「役に立たないプログラムが働いている/心の癖」のが問題という可能性があります。
例えば、営業に行くと自信の無さが声のトーンに表れてしまって、お客様に信頼してもらえないとか。
この場合、悲観的に予想するプログラムや、初対面の人に緊張するプログラムなどが問題を生んでいるのかもしれません。
やろうと思っていることがあるのに、“邪魔をする気持ち”が自動的に出てきてしまう。
そういうプログラムの問題ですね。
あるいは努力としてやっている行動について、“やり方”のプログラムが効果的でない可能性もあります。
例えば…。
これらの“やり方”で上手くいく人も、もちろんいます。
ポイントは、
もし同じような努力を続けていても結果が出ていないのだとしたら、“やり方”の中に効果的ではない方法が含まれているかもしれない
というところです。
どちらにしても、すでに持っているプログラムが問題(=「役に立たないプログラムが働いている」)のケースです。
“心の癖”の問題のほうですね。
さらにこれが人間関係のトラブルとなると、“心の癖”が原因になることが増えがちです。
それは相手の対応によって、自分の感情が動かされてしまいやすいからです。
場合によっては、その場の勢いで我を忘れたように余計なことを言ってしまって、自分から関係を台無しにしてしまったり…。
「どう対応したらいいか分からない」。
でもそれはコミュニケーション技術の問題ではないんです。
感情が大きく動かされてしまっていますよね?
“動かされる”というコントロール不可能な印象が重要です。
プログラムが勝手に働いてしまっているわけです。
ですから“心の癖”のほうが問題なんです。
「どうしたらいいか分からない」のは、感情が動いてしたう“心の癖”のほうだ、という話です。
厄介なものですよね。
とくに激しい感情が出てしまうときは、手に負えない感じがしても当然だと思います。
頑張っても上手くいかない。
それどころか空回りして、感情のぶつけ合いにエスカレートして…、最終的には嫌な気持ちを引きずることになってしまうことさえあります。
残念ながら、激しい感情が出てしまう人間関係では、コミュニケーション技術で対応しきれないことが多いんです(ほぼムリ)。
なぜなら技術を使える心理状態ではないから。
感情が大きく動いてしまうと、普段ならできることも困難になります。
ザックリいうと…
普段できることは「人間モード」で身につけた技術。
感情が大きく動いたときは「動物モード」になって、人間モードのときの技術が使えなくなる。
そんな感じです。
つまり人間関係のトラブルも多くは「役に立たないプログラム(“心の癖”)が働いている」の問題のほうだということです。
このように、上手くいかないことの大半が実は「役に立たないプログラムが働いている」ケースなんです。
“心の癖”が問題になることばかり。
だったら“心の癖”を修正するほうが大事でしょう。
そんなわけか、NLPが開発したテクニックの大多数が“心の癖”を修正する方法となっています。
本を読んでもセミナーに参加しても、NLPについての内容は「どういう手順で“心の癖”を修正するか」を説明しているはずですよ。
プログラムは『学習』と言い換えられます。
ただし一般的にイメージされる“勉強”のような意味での学習ではなく、「何かのパターンが身につく、記憶に定着する」といった意味の『学習』です。
学習は体験によって起きます。
体験したことが記憶されるわけですが、大抵の人は一回だけで記憶できるものではありませんね。
繰り返しが必要です。
ところが“繰り返し”といっても、人生で全く同じ体験は二度は起きることはありません。
多少の違いがあります。
ですから現実的には「似たような体験が繰り返されると」という話になるんです。
そのため“似たところ”、つまり共通する典型的な特徴が『パターン』として抽出されて記憶されることになります。
このように、いくつかの体験から『パターン』を抽出して記憶することをNLPでは『一般化』と呼びます。
動物の基本的な機能ですね。
一度作られたパターンは、何度も利用されます。
「同じようなこと」として、前に学習したのと同じ対処をするわけです。
何もかも『パターン』を繰り返しているといえます。
一生懸命に対処法を工夫しなくて済むので、効率的です。
人間って忙しいですからね。
社会に適応するために覚えないといけないことが多過ぎます。
同じような場合には、いつものパターンで対処してしまったほうが便利なんでしょう。
しかも学習が定着するほど、繰り返す精度が上がります。
毎回スムーズに、しかも自動的に同じことができてしまうようになるんです。
ということでプログラムの特徴1つ目は『自動的に同じパターンを繰り返す』ところにあります。
同じように対応して効率化するのだとしたら、「同じような場合に」である必要がありますよね。
人前で緊張する人が、満員電車でウッカリ緊張してしまうことはないはずです。
車にクラクションを鳴らされたときに「猫カワイイなぁ」ともなりません。
『パターン』は対処として起きる“反応”の部分だけでなく、「どんなときに」という“条件”の部分も含んでいるわけです。
つまり
①「〜〜が起きている」という出来事のパターン認識(“条件”)
②「〜〜のときは〇〇する」という反応パターンの発生(“反応”)
のように
『条件→反応』の組み合わせでパターンが作られている、と説明できます。
シンプルに言うと『プログラムは作動するタイミングが決まっている』ということです。
これが2つ目の特徴です。
決まった条件のときにスイッチが入るような感じですね。
ですからプログラムを捉えるときには「何がキッカケでスイッチが入ったように、気持ちが切り替わるか?」を特定するのがコツです。
切り替わった気持ちは一通り、プログラムだと考えもらって大丈夫です。
《プログラムが心の動きを作る》
同じような場面を、同じ対応で効率的に乗り切る。
だから、スイッチが入ったように同じことを繰り返す。
…それがプログラムの働きだとしたら、なぜトラブルを生むようなプログラムを私たちは持っているのでしょうか?
例えば、暮らしに根づいたパターンとして…
など、恐怖や苦手意識のあることがありますよね。
これらが人生の一大事として大きな悩みごとになるがは分かりませんが、問題ではあるはずです。
「こんなプログラムいらないじゃないか?」
「これでも“効率的に対処している”わけ?」
そんな疑問もあるかもしれません。
こういうケースについてNLPでは、「過去にトラウマ的な体験があった」可能性を考えます。
“トラウマ”とは「心の傷」のような意味です。
衝撃的な体験、“痛い目”にあった出来事、危機的な場面などがあると、その内容がすぐに記憶されます。
動物でも同じですよね。
身の危険を体験したら、同じような出来事は避けたいわけです。
理性的に考えると「そこまで危険だったわけでもないのに…」という出来事でも、恐怖やショックを感じると動物的な反応になってしまうようなんですね。
なので、心身の痛みをともなった出来事があると、それ以降は似たような危険を避けようとする。
それが恐怖や苦手意識だということです。
そう考えると、メリットがあるからプログラムが作られていると言ってもいいんじゃないでしょうか。
ということで、
どんな問題のパターンでも、ある側面では役立っていたり、昔は役立っていたりしたはずだとNLPでは考えるんです。
すべてのプログラムにはメリットがある。
少なくとも、プログラムが作られた当時には目的があった(忘れているだけで)。
この発想をNLPでは当然の前置きと設定しています。
そういう考えのもとでテクニックを開発したり、人間関係にアプローチしたりするわけですね。
“意識”と“無意識”、“顕在意識”と“潜在意識”なんて言葉、聞いたことのある人が多いんじゃないでしょうか。
なかには「“無意識(潜在意識)”が9割以上」といった説明や、「潜在意識は顕在意識よりも強力だから逆らえない」といった話もあるみたいです。
それで「無意識を書き換えれば人生が上手くいく」とか「潜在意識を活用する」とかの理論も出てくるんでしょうね。
では、NLPにおいて“無意識(“潜在意識”)はどんな位置づけなのでしょうか?
実用的には、NLPをやるうえで“無意識”という単語を使う必要はありません。
NLPのテクニックを使うときにも、手順の中に“無意識”という単語は出てこないほどです。
ましてNLPは“潜在意識”という「自分の顕在意識では手に負えないもの、捉えどころのないもの」のような見方はしません。
その代わりに、プログラムとして「1つの自動化された反応パターン」に注目します。
大きく手に負えない、漠然として捉えどころがない…、だったら細かく分けて扱おう。
そんな方針なんです。
そうすることで、世間では“無意識(潜在意識)”と呼ばれるものをハッキリと意識化して、意識の中で取り扱えるようにします。
そのときにイメージを使ったり、身体の感覚を使ったり、色々なコツがあるんです。
言ってみれば「無意識を意識化するコツ」ですね。
ですからNLPの基本方針は、
『無意識の一部を意識に変えて取り扱う』
ことだといえます。
それを踏まえると、NLPをやるときに“無意識”や“潜在意識”という用語をわざわざ使わなくてもいいんじゃないでしょうか。
とはいえNLPで“無意識”と絶対に言わないかというと、そうでもありません。(※私は滅多に言わないようにしていますが)
言葉の意味、使い方が別なんです。
“潜在意識”と同じような意味で使われる“無意識”は、正確には「無意識の心」といったところでしょう。
心の働きとして「自分の意識的なコントロールが及ばない範囲」の感じ。
それに対してNLPで“無意識”と言うときは、単純に「意識していない」という意味です。
「無意識的にやっている」「無意識のうちに起きている」などの場合ですね。
プログラムは自動的に働いて、しかも大部分は役立っているわけです。
なので「無意識のうちに〇〇してくれている」のようには言えます。
プログラムが修正されたり新しく追加されたりするときは、「今の体験を通して無意識に学習している」なんて言ったりもできます。
でも、まあ、それぐらいでしょう。
少なくとも「無意識の心=“潜在意識”」というものを想定するのは、NLPの効果と方針を踏まえると結構もったいないことのはずです。
せっかく手に扱えるサイズに「プログラム」として分割しているんですから。
人が身につけたものは全てプログラム。
プログラムは自動的に働いている。
そして同じパターンを繰り返す。
…それが基本的な考え方です。
沢山あるプログラムですが、どれぐらい意識的か無意識的かは、それぞれのプログラムによって違いがあります。
プログラムが意識的である度合いは、次の2つの点で整理すると分かりやすいんじゃないでしょうか。
普段からどれぐらい意識に上げているか?の度合いです。
「自然にやっているけれど、やっていることにも気づける」としたら、だいぶ“意識的”だといえます。
例えば、
などは自覚しやすい部類かもしれません。
自然にやっているけれど、すぐに意識に上げられると思います。
逆に、
などの場合は、無自覚になりやすそうです。
当たり前のようにやっていて、自覚することなく過ぎ去っていく。
なので、人から指摘されて気づいたり、やったかどうか忘れてしまったりするケースです。
人によっては「スマホを見ながら食事をしていて、箸の動きは完全に無自覚」ということもあるでしょう。
「自転車でバランスをとる」なんて、大事な作業であることさえ忘れているかもしれません。
どれぐらい「自分がやっている」「自分で選択できる」印象があるか?の度合いです。
普段は自動的にやっていることでも、意識に上げて調節したり、対応を選んだりできるなら「意図的」だといえますね。
自分の意図で決めているわけですから。
せっかくですから①「自覚している度合い」で挙げた例で見てみます。
書類に文字を書き込む、自転車のペダルをこぐ、交差点で左右を確認する、夕飯を決める、明日の予定を考える…
のあたりは、「自分でやっている」感じが強そうです。
かなりコントロールもしやすそうですね。
手を振る、頭をかく…あたりだと、自動的な度合いが上がるのではないでしょうか。
変えようと思えば変えられるけれど、「いつものパターンを繰り返す」傾向が強いと思います。
そして、人前で緊張する、口ごたえされると腹が立つ…ともなると、むしろコントロールが効かない感じでしょう。
勝手になってしまって抑えが効かず、衝動的な印象になるケースです。
同じように「無自覚」なほうでも見てみましょう。
家のドアに鍵をかける、言葉を話す、箸で食べ物を口に運ぶ、…あたりは、無自覚で自動的な感じだと思われますが、意識に上げさえすればコントロールできますよね。
キーボードでタイピングする、自転車でバランスをとる…などはどうでしょう?
本当に自動化されている人だと、どのようにやっているかが分からなくなっているかもしれません。
意識したら上手くできなくなる可能性まであります。
昔の友人を思い出す、仕事中に雑念が浮かんでいる、イライラが態度に出ている、忙しさで焦っている…などは、勝手になってしまってコントロールは効かないかと思われます。
ということで、いわゆる「意識/無意識」の区別を「どのぐらい意識的であるか」の度合いとして捉えたときでも、
①自覚している度合い
②コントロールできる度合い
の2つのポイントが混ざってしまうわけですね。
例で見たように
と、いろいろな「意識的/無意識的」の度合いがあるんです。
しかも1つの反応パターン(プログラム)に注目すると、組み合わせた4つのどれかに当てはまるわけでもありません。
「自覚的〜無自覚」、「コントロールできる〜コントロールできない」のそれぞれに程度の差があります。
「どっちも真ん中ぐらい」となると、それは意識・無意識のどちらなんでしょう?
判断が難しいですよね。
その点、そもそもNLPでは意識的/無意識的の区別をあまりしません。
意識だろうが無意識だろうが、変えたいパターン(プログラム)を選んで、それを扱うだけのことです。
シンプルですよね。
他の分野でなら
…さまざまな説明がなされます。
でもNLPでは、どれぐらい無意識的かどうかは重要ではないんです。
大事なのは「変えたいか?」。
そして変えたいことがあるなら、NLPのテクニックを使って変える。
それだけのことです。
そんなシンプルな方針でやれるのは、NLPのテクニック自体に『どれだけ無意識的なことでも意識に上げて扱えるようにする』コツが含まれているから。
それがNLPの大きな特徴の1つです。
だからこそ「意識/無意識」といった話をする必要さえないのかもしれません。